ヒーラーの声

死ぬに死ねない“延命治療”

父の死を通して感じたこと

No.018

私が霊的真理を学び始めて3年ほどたった頃のことです。父が脳梗塞で倒れて昏睡状態に陥り、集中治療室に運ばれるという出来事が起こりました。その後、父の意識は戻りましたが、左脳のダメージで右半身不随になってしまいました。そして入退院を繰り返すうちにだんだんマヒが進行し、最終的には長期入院することになりました。喉を切開し、管(くだ)で痰を取り始めたのを皮切りに、父の体には次々とチューブが取り付けられました。その様子は、まさに“スパゲティ状態”です。父は食事も摂ることができず、点滴だけで1年間、長らえました。全く物を食べていないのに、取り付けられた人工肛門の管からは毎日、何かしらのものが排泄されていました。

言葉を話すことも難しくなった父との会話は、「文字盤」を使います。父は、「こんな体で生きているのは辛い。早く死にたい」と繰り返し訴えかけてきました。私はスピリチュアリズムを学び、霊界の事実を知っていたので「霊界に行ったら病んだ肉体から解放されて、苦しむことはないからね。今は辛いことばかりだけれど、苦しみを通していろいろ学んでいるんだよ」と話してあげました。
霊界のことは分かりませんでしたが、私の話はよく聞いてくれました。入院生活が続く中、父は2度ほど危篤状態に陥りました。しかし、その度に蘇生して泣きました。意識が回復する度に、自分が生きていることが辛くてたまらなかったのです。父は3回目の危篤状態で、ようやく重い肉体から解放されました。そして安堵の表情で、地上から旅立っていきました。

現代西洋医学の医師にとって、患者の死は“敗北”を意味します。どんなに不自然な状態であっても、死なせまいとして“延命治療”を行ないます。しかし、それは患者にとっては耐えがたい苦痛です。父はつながれた器具によって、1年間、死ぬに死ねない辛い日々を過ごしました。しかし、そうした地上での苦しみの体験によって、父のカルマは精算されたのでしょう。その後、夢に現れた父は、マヒのない元気な姿でニコニコと笑っていました。今は、肉体の苦痛から解放され、霊的世界の住人として日々を過ごしているはずです。

私は父の死を通して、無意味な延命治療の実態を知ることができました。今にして思えば、人間をモノとして扱う、唯物的な現代医学の欠陥を見せつけられた体験でした。

(小川)