ヒーラーの声
スピリット・ヒーラーやスピリチュアリストが持つべき「道具意識」に立った謙虚さ
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「スピリチュア・ヒーリング」や「ヒーラー」という言葉でインターネット検索をすると、数多くのホームぺージが出てきます。それらを見るたびに思うことは、霊界の道具に徹して本当に謙虚な思いでヒーリングに携わっているスピリチュアル・ヒーラーは、ほとんどいないということです。
ヒーラーになったきっかけについて尋ねると、「人の病気を癒して苦しみから救ってあげたい」とか「人のために何か役に立ちたい」といった答えが返ってきます。しかし、スピリチュアル・ヒーラーを自称する人たちの多くが高い治療費を要求していたり、人集めに奔走しています。自分自身の利益がスピリチュアル・ヒーリングの目的になっています。
残念ながら、それは“人のため”というよりも、ヒーリングを利用して“自分のため”の利益を求めているということです。ヒーラーも世間の人々も、治療費を払ってヒーリングを受けるのは当たり前だと思っているかもしれませんが、金儲け・営利目的のヒーリングには、霊界のスピリットが応援することはありません。
また、ヒーラーだけでなく読書会や他のスピリチュアリズムの活動をしている人にも同じことが言えます。スピリチュアリズムの真理普及のためと言いながら、実際は、自分の名声や実績が欲しくてスピリチュアリズムを利用しているのです。“他人から注目されたい、目立ちたい”という思いから読書会を開いていたり、ホームページを立ち上げている人が多くいます。自分が注目されるため、人からよく思われるために読書会を開いたりホームページをつくっているとするなら、それはスピリチュアリズムのためではなく、すべて自分のためということになってしまいます。
そうした人たちの様子を見るたびに、スピリチュアリストやヒーラーは、霊界の道具に徹して歩まなければならないことを痛感させられます。「霊界の道具」として自分を位置づけしないかぎり、本当の謙虚さを持つことはできません。「謙虚さ」と口で言うのは簡単ですが、謙虚さを身に付けるのはとても難しいことです。それを可能にするのは、自らを霊界の道具とすること、道具意識に徹すること以外にはありません。道具意識がないところで「本当の謙虚さ」を身につけることはできないのです。
ヒーリングをライフワークとしている方や、スピリチュアリズムの普及に携わっている方には、「スピリチュアリズムのために、心の底から自分を犠牲にしようとしているか?」自らに問いかけてほしいと思います。「自分は目立たなくてもいい。自分は一生、人々に知られなくてもいい。スピリチュアリズムの発展のために人生を捧げられるなら、それで十分」と思えるかどうか、もう一度、自らの心を振り返ってみてください。
スピリット・ヒーリングは、ヒーラー自身の利益を得るために行うものではありません。人々の霊的救い・霊的向上のために行うものです。「良き霊界の道具」を目指す日々の努力を通して、スピリット・ヒーラーにふさわしい人格が養われていくのだと思います。
(岩田)