ヒーラーの声

登山と信仰生活の共通点

No.045

私たちのサークルでは、10年ほど前から登山を始めました。全員で登山をする目的は、健康維持と、共通の趣味を通して喜びを分かち合いメンバー間の一体感を高めること、そして精神を鍛錬することです。重い荷物を背負い、頂上を目指して一歩一歩登っていく登山は、とても苦しいものです。高山病にかかったり、足を痛めたときなどは「辛いからもう登りたくない」と思うこともありますが、皆で励まし合って、何とか頂上まで登りきったときの達成感・充実感は言葉では言い尽くせません。険しい山であればあるほど、登るのが苦しければ苦しいほど、頂上に立ったときの喜びはひとしおです。

信仰はよく登山にたとえられます。確かに重い荷物を背負い、高い山頂を目指して地道な努力を積み重ねていく登山は、信仰の歩みそのものです。信仰も登山も辛く苦しい歩みであること、目標が高くなればなるほど、それを達成したときの喜びと充実感が増していくという点で共通しています。

登山では高く登れば登るほど、低い地点では見えなかった素晴らしい景色が見えるようになります。そして頂上に立ったときには、最高のパノラマ・大絶景を眺めることができます。これは苦しさに耐えて、最後まで登りきった者にしか見ることができない特別な景色です。

それと同じように信仰の道も、高みに登れば登るほど厳しくなりますが、それにともない喜びと充実感が増すようになります。苦しみを乗り越えた分だけ霊的視野が広がり、知識が増え、深く広い考え方ができるようになります。

私たちが“スピリチュアリズム”という最高峰の頂上に立つには、まだまだ時間がかかりますが、地上人生をかけて高い目標に向かって登り続ける決心をしています。死ぬ直前まで、ひたすら頂上を目指して登っていきたいと思います。

(杉野)