ヒーラーの声

ミュージシャンからスピリチュアリストになった“私の夫”

No.075

私の夫は、スピリチュアリズムに導かれる以前は“ミュージシャン”でした。ジャズミュージックのアレンジャー(編曲者)として編曲に携わる一方、プロのジャズバンドで演奏や指揮をしたり、大学のジャズクラブの指導にと忙しい日々を送っていました。当時は、「音楽の道を究めるためには、コッペパンと水だけの食事でかまわない」といった、まさに音楽に人生のすべてをかけた歩みをしていました。

それと同時に、熱心な創価学会の会員でもあり、富士宮の大石寺にもしばしば足を運んでいました。

そんな夫が霊界の導きの中で“スピリチュアリズム”と出合い、人生の大転機を迎えることになりました。ある日、突然、音楽仲間に「これから霊的修行に入るので、今までのような付き合いはやめる」ときっぱりと宣言し、決別しました。仲間たちはあまりに突然のことに驚きましたが、「変人の小川なら、さもありなん」と納得したようです。

そして下宿を引き払って、心の道場(現在のスピリチュアリズム普及会)のセンターで生活を始めることになったときには、軽トラック一杯分の自作の楽譜を持参していました。しばらくの間、楽譜は建物の片隅に山積みにされ放置されてほこりまみれになっていました。やがて霊的真理の理解が進み、信仰心が深まるにつれて楽譜の山は徐々に少なくなり、最後は一抱えの楽譜を残すだけになりました。

心の道場のメンバーとして歩み始めて数年が経った頃、夫は皆の前で、自ら作曲したスピリチュアライズ・ミュージック(霊的浄化音楽)を披露することになりました。その音楽には“未知への航海”というタイトルがついていました。

当時、私は夫と結婚してスピリチュアリストの夫婦になっており、皆の前で2人で演奏したり、メンバーの中から仲間を募ってバンドをつくり、演奏会を開いたりしていました。夫がスピリチュアライズ・ミュージックを作曲したのは、その音楽が皆の心に安らぎをもたらし、スピリチュアリズムへの貢献の活力になってくれたらと願ってのことです。

録音してあった曲が流れ始めると、ホール(※神社の拝殿)に集まったメンバーはシーンと静まり返り、音楽に聴き入りました。夫は、皆の前で壁に寄りかかって一緒に聴いていましたが、その顔は喜びと充実感に溢れ、「自分の曲はまんざらでもない」と、一人で悦に入っている様子がはっきりと見てとれました。

夫は、音楽が終わるとスタンディング・オベーションで拍手の嵐が巻き起こると思っていたようです。しかし実際には、誰ひとり立ち上がらず、誰ひとり拍手せず、沈黙の時が流れました。期待していたのと全く違う反応に、夫はどぎまぎしていました。そのうち誰かが、小さな声で囁くのが聞こえます。「あまりスピリチュアライズされなかったわね。感動もなかったし……」と。

いつも顔を合わせている家族同然の仲間なので、遠慮がなくてストレートです。“親しき中に礼儀なし”です。それにしても、あまりにもひどいじゃないですか。あまりにも冷たい言葉じゃないですか。せめてお世辞でもいいから、「まあまあ良かったわね」ぐらいは言ってくれてもよさそうなものを……。

そのあと夫は、何人かのメンバーに感想を聞いたようですが、やはり期待は裏切られ、「ひとつも霊的浄化されなかった」「少しも癒されなかった」といった思いやりのない言葉が返ってきました。

その冷たい感想を前にして、夫は大きく悟りました。そして「これじゃあ“未知への航海”ならぬ“無知への後悔だ”」という名言を吐いたのです。あまりにもぴったりの気の利いた夫の言葉に、私は感心しました。センスのない鈍感な夫にこんな才能があったのかと、驚きを禁じ得ませんでした。後日、そのことを皆に伝えると誰もが感心し、大絶賛。肝心な音楽にはシーンとしていたメンバーが“無知への後悔”という言葉に感動し、大拍手!

それ以来、夫は音楽に対する未練をきっぱりと捨て去り、スピリチュアリズムに専念するようになりました。時々は大学のサークルから頼まれて編曲したりすることもありましたが、ジャズに対するかつてのような情熱は消え失せ、すべての時間とエネルギーをスピリチュアリズムに向けるようになりました。

今ではサークル内部の交流会で楽器を演奏したり、4人組の即席バンドをつくって演奏するなど、ミュージシャンとしての腕は健在です。そしてサークルで進めているビデオの制作に携わり、身につけた音楽的才能と音響機器操作の技を「スピリチュアリズム普及」のためにフル活用しています。

ミュージシャンからスピリチュアリストへの夫の変身ぶりを振り返るたびに、スピリチュアリズムの「霊的真理」の威力をしみじみと実感します。そして「ミュージシャンとして一生を終えることにならなくてよかったね」と、つぶやきます。

大好きな音楽に打ち込み、ミュージシャンとして生きていこうと決心していた夫ですが、「霊的真理普及」という最も価値ある仕事に人生を捧げることになりました。真理を手にした夫は、まさにスピリチュアリズムによって救われ、最高の奉仕人生を送れるようになったのです。

それにしても“未知への航海”ならぬ“無知への後悔”の言葉は、何度思い返してもほれぼれとします。最高傑作です!!

(小川)