ヒーラーの声

スピリチュアリズムの価値を一番深く理解できるのは、他の宗教で真剣に信仰を重ねてきた人

No.038

最近、スピリチュアリズムに出会って感動したという人たちが増えてきました。その中には、他の宗教で熱心に信仰してきたという方が少なくありません。こうした方たちが決まって口にするのは、「ようやくスピリチュアリズムという本物にたどりついた」という言葉です。

私はそれを聞くと、他の宗教で必死に歩んできた人の信仰に対する情熱、真剣さ、行動力といったものを強く感じます。それと同時に、スピリチュアリストとして30年間歩んできた自分を省みて心が引き締まります。

10年、20年と真剣に求道の歩みを重ねてきた人の言葉にはとても重みがあり、ようやく本物に出会えたという大きな感動が強烈に伝わってきます。中には、涙を浮かべながら「もっと早くスピリチュアリズムに出会っていればよかった。それを思うと悔しくて……」とおっしゃる方もいます。

私は、こうした方々にいつも次のようにお伝えしています。

「本物に出会うのに遅すぎたということはありません。出会った今が、一番ふさわしい時期なのです。他の宗教での真剣な歩みは、本物に出会うための準備だったということです。遠回りをしたとか、遅すぎたということは決してありませんから安心してください。シルバーバーチも「地上で無駄な体験はない」と言っていますから、これまでの苦労は本物に出会うための必要な準備だったということです。その経験があったからこそ、スピリチュアリズムの価値を深く理解することができたのです。」

他の宗教で熱心に信仰をしてきた経験は、たとえその教えが間違っていたとしても無駄ではありません。無駄ではないどころか、その経験があればこそ時期がきてスピリチュアリズムに出会ったときに、その価値を即座に理解することができるのです。そして「スピリチュアリズムが信仰である」ということを無条件に受け入れることができるのです。それは、長年の信仰体験によって、何が本物かを判断するモニターが適確に働くからです。

霊的真理の価値を見極めるのに、その人がどの宗教に属していたかはまったく問題ではありません。そんなことより、謙虚で誠実に使命感を持って信仰してきたという体験が、スピリチュアリズムの価値と重大性を深く理解する決め手となるのです。

私は、今は他の宗教に身を置き、信仰に打ち込んでいる人たちに一刻も早く時がきて、スピリチュアリズムに導かれることを心から願っています。

(谷口)