(8)ヒーラー養成セミナーの問題点
後天的なヒーリング能力の開発
これまでの話を通して、「ヒーリング能力」は先天的なものであることを理解していただけたものと思います。ところがこの能力は、先に述べたように訓練によってある程度まで、後天的に発現させることができます。世の中では、ヒーリング能力の開発を目的としたセミナーが盛んに行われています。
洋の東西を問わず、また現在過去を問わず、今日まで大勢の人々が「霊能力」の虜(とりこ)になり、霊能開発に血まなこになってきました。ヨーガや中国の導引、日本の密教の修行によって霊能力・超能力が獲得される事実は、よく知られています。また、時として特定の宗教教団に、集中して霊能者が現れることがあります。そうした宗教教団では、霊能者の現出の多さが自分たちの教団の霊的な高さを証明していると誇示し、勢力を拡大するための宣伝に利用してきました。
一方、現代先進諸国では、従来のような宗教を中心とした霊的修行とは別に、霊能開発を目的としたさまざまなセミナーが流行しています。多くの現代人が霊能力・超能力に強い関心を持っており、そうした人々を対象にしたヒーラー養成セミナーや霊能開発セミナーがひんぱんに開かれています。さらに最近では、現代文明の機器を用いた霊能開発(ヘミシンクなど)も活発に試みられています。
“ヒーラー願望・霊能者願望”に潜む不純な動機
世間には、「スピリチュアル・ヒーラーになりたい、霊能者になりたい」と思っている多くの人間がいます。「霊能力(ヒーリング能力)を身につけたい」という願望の根底には、他人にはないものを手に入れて自慢したい、偉い人間と思われたい、人気者になりたい、金儲けをしたいといった不純な動機が潜んでいます。「霊能者になりたい」という願望の奥には、低俗な物欲・虚栄心・名声欲・自己顕示欲が深く根を張っています。
こうした人間にとって大切なものとは、自分と家族の物質的豊かさであり、この世的な幸福です。自分自身の利益のためにヒーラーや霊能者を目指しているのであって、心の底から人々のために役立ちたい、手助けをしたいと思っているわけではありません。表向きは「霊能力を身につけて人助けをしたい」と殊勝なことを口にしますが、その本心はエゴであり、自己中心的な欲望であることは言うまでもありません。
世の中には、何がなんでも霊能者になりたいとの思いから霊能開発訓練に夢中になっている人間がいますが、そうした人は、常に大きな危険と隣り合わせにいるのです。
大切なのはヒーラーになることより、純粋な利他愛の実践
「何としてもヒーラーになりたい、霊能者になりたい」と思っている人の心には、この世の富(モノ・カネ・人気・権力)に対する飽くなき欲望が存在しています。当事者はその事実をなかなか認めようとはせず、どこまでも「自分は人助けのため、人々の幸福のためにヒーラーになりたいのだ」と主張しますが、それが本心であるなら、すべてを無償の奉仕としてやるべきです。自己を犠牲にし、一切の見返りを期待することなく、ただ与え尽くすことに専念すべきです。それだけの覚悟があって初めて、「自分は人々のためにヒーラーを目指すのだ」と言うことができるのです。
「利他愛」という霊的真理の本質を正しく理解している人なら、何としてもヒーラーになりたいなどとは考えないはずです。「自分にできる限りの奉仕をしたい、人助けができればそれでいい」と思うものです。見返りを求めない無償の奉仕に専念してこそ、真の利他愛と言えるのです。そうでないかぎり結局、すべては自分の利益のため、ということになってしまいます。
ヒーラーや霊能者を志す人は、本当に人々のためにそうしようとしているのか、純粋な利他愛が動機となっているのかを厳しくチェックしなければなりません。おそらく大半の人が、「ヒーラーや霊能者になりたい」という思いの根底に、利己性があることに気づくはずです。この世の富と利益を求めようとしていたにすぎなかったことが分かるはずです。自分の心に潜むエゴ・利己性を直視し、その事実を認めたとき、人は初めて「利他愛」の意味を真に理解し、謙虚な気持ちを持つことができるようになるのです。醜い利己心から欲望を追求するなら、自分の魂を汚し、人間にとって一番大切な永遠の宝を失うことになってしまいます。
何の報酬も求めず、他人から称賛されることもなく、世間から馬鹿にされるようなことがあっても、「霊界の道具」として淡々とやっていける人間だけが“本物のヒーラー”になる資格を持っているのです。人のために役立つ奉仕はいくらでもあるのですから、まずはそれに専念することです。それができないうちにヒーラーになろうとするなら、必ず身を滅ぼすことになってしまいます。一生を台なしにしてしまいます。
無理をしてヒーラーや霊能者になる必要性など、全くありません。ヒーラーや霊能者でなくても、人々への奉仕はできるのです。そんなことより、純粋な奉仕精神から人々のために尽くす「利他愛の実践」の方がずっと大切です。「他人のために役立つなら、どんな奉仕でもいい」と思える人間であってこそ、霊界の道具としての本物のヒーラーになることができるのです。
不自然な霊能力開発がもたらす危険性
霊能力の獲得だけを目的とした不自然な霊能力開発には、必ずそれ相当の悪い結果が生じるようになります。“低級霊の憑依”がその代表ですが、無理を重ねた霊能開発訓練には、常に大きな危険が付きまといます。間違った霊能開発訓練によって今日まで、どれほど多くの人間が精神障害者となってしまったことでしょうか。現在では、現代機器を用いた“ヘミシンク”のような霊能開発が流行していますが、これもきわめて不自然な方法です。かつての催眠術を利用した霊能開発と同様に、大きな危険がともないます。
実は、さらに深刻な問題があります。それは間違った霊能開発が、人間にとって最も大切な“魂”そのものを汚し、醜くしてしまうということです。「カルマ」をつくり出して霊的成長の道を閉ざし、せっかくの地上人生をムダにしてしまいます。そして死後にまで、悪い影響をもたらすことになってしまうのです。
人々の霊的無知と低俗な欲望に付け込むセミナー商法
“霊能養成”をエサにした詐欺行為
世間では、人々の低俗なヒーラー願望・霊能者願望に付け込んだヒーラー(霊能者)養成セミナーが盛んに行われています。こうしたセミナーは、主催する側の人間にとってはカネや地位や名声を獲得するための手段でしかありません。たとえ“人助け”を謳っていても、実態はどこまでも人々のヒーラー願望・霊能者願望を利用した“金儲け”であり、悪徳商法以外の何ものでもありません。
セミナーを主催するのに、さほど元手はかかりません。会場と少人数のアシスタントを用意すれば十分です。宣伝費も他の業種と比べ、ほんのわずかで済みます。ほとんど元手をかけずに開くことができます。しかもセミナーの参加者が、自発的に新しい参加者を連れてきてくれるのです。
世の中の大半のヒーラー(霊能者)養成セミナーでは、「簡単にスピリチュアル・ヒーラーになれる、気功師になれる」「短期間に霊能者になれる」などと言ってPRします。大衆の低俗な好奇心を刺激して、より多くの人間を集めようとするのです。霊的知識のある人なら、謳い文句が全くのデタラメであることはすぐに分かるのですが、霊的真理を知らないうえに“霊能者願望”の強い人間には、ウソを見抜くことはできません。こうしたセミナーの実態は、“霊能養成”をエサに参加者からカネを巻き上げようとする詐欺行為に他なりません。
セミナーでは普通、心霊学や神秘学の専門知識を用いた講座が開かれ、簡単な実習が行われます。主催者側は、そうしたセミナーを受講するだけでヒーリング能力・霊能力がつくと主張します。また、セミナーは幾つかのコースに別れていて、コースごとに受講日数と金額が違っています。日数の長いコース(上級コース)に参加すれば、それだけ霊能力を開発することができるようになると言うのです。
しかし、これはカネで霊能力を身につけることができる、カネで霊能者の資格を得ることができる、という馬鹿げた宣伝です。一方、受講者の方は、高い受講料を払ったのだから元を取りたい、元を取らなければ損だと考えるようになります。他の人に霊能力がついたのだから、自分にもつかないはずはないと思うようになります。こうして低俗な感情と競争意識が煽られ、セミナー参加者の中から、低級霊による憑依や精神障害といったトラブルがひんぱんに起きるようになるのです。
セミナー依存者・セミナー中毒者の発生
セミナーに参加すると、これまで体験したことがないような霊的体験をすることになります。会場にはきわめて次元の低い霊的エネルギーが渦巻き、“低級霊”が集結しています。こうした霊的状況の中では、少しでも霊的に敏感な人間は、今まで味わったことがない“霊的刺激”を体験することになります。これが当人に「本当に霊能力を獲得できるかもしれない」との期待を抱かせることになります。こうして霊能開発セミナーの“罠(わな)”にはまっていくようになるのです。
また“霊動”などの初歩的な霊的現象が発生すると、他の参加者から注目されたり、スタッフから称賛を受けるようになります。これが本人の虚栄心とプライドをかき立て、ますますセミナーへのめり込むようになります。セミナーに参加することで周りの人間から特別視され、それがたまらない快感になってしまうのです。
一方、セミナーを受講すると、これまでの人生にはなかった親密な人間関係を持つことができるようになります。「霊能力」という共通の話題で盛り上がり、そこに本当の親しさ・友情があるかのように思い込む人もいます。そしてセミナーが、自分にとって一番居心地のいい場所、最も相応しい場所であるかのような錯覚にとらわれてしまうようになります。
こうした人間が、家に帰って一人で訓練をしても、あまりぱっとした霊的反応は現れません。セミナー会場の特殊な霊気の中でのみ、霊能力が現出するのだということが分かるようになります。こうして毎回欠かさずセミナーに参加するようになり、セミナー通いが常習化し、そこから抜け出せなくなってしまうのです。
セミナーで発生する霊的反応と洗脳
セミナーの雰囲気の中で、ほとんどの参加者は気分がハイ(興奮状態)になります。すると大半の人間に、一時的にマグネティック・ヒーリングやサイキック・ヒーリングの能力が現れるようになります。セミナーの主催者も参加者も「霊的無知」からそれを大げさにとらえ、“奇跡”が起こったかのように錯覚してしまいます。参加者はヒーリング能力がついたことに自負心を刺激され、自分が特別な人間にでもなったかのように興奮してしまいます。この程度の霊的現象は、どこにでも見られるきわめてありふれた霊的反応にすぎませんが、それを主催者も参加者も全く理解することができないのです。
かつて世間を騒がせた“オウム真理教”では、霊的修行によって現れる初歩的な霊的反応の意味が分からず、そこから信者たちの内部競争がかき立てられて教団全体が狂い、結果的に犯罪を引き起こす方向に走ってしまいました。それと同じことが、霊能開発セミナーについても言えるのです。オウム真理教の信者が「霊的無知」から狂ってしまったように、霊能開発セミナーの主催者も参加者も、霊的無知と我欲から同じ道を歩んでいるのです。そうした中で、セミナーの主催者を“教祖”のように崇拝する動きがつくられていくようになります。
スピリチュアリズムを利用した、さらに悪質なセミナー
こうした霊能開発を謳った詐欺的セミナーが横行する中で、最も悪質なものが“スピリチュアリズム”の名前を用いて人々を騙すセミナーです。スピリチュアリズムの「霊的知識」を利用して、自分たちのセミナーが、さも本物であるかのように装うのです。霊的真理を知った者が、金儲けや売名のために“人騙し”をすることは、きわめて重大な問題です。“エゴの極み”とも言うべき悪質な行為です。現実に、そうしたスピリチュアリズムを利用した不正が横行しています。
スピリチュアリストは本来、霊的真理を知らない人々に対して、霊的現象や霊能力について教えてあげる立場に立っています。そうしたものに過度の関心を寄せる人々に対してその無意味さを説き、間違いに気づかせてあげなければなりません。そのスピリチュアリストが真理を利用して詐欺行為を働くとするなら、一般の人々とは比較にならないほど大きな罪を犯すことになります。