(5)スピリット・ヒーリングにおける問題点

スピリット・ヒーリングに関する問題とは、“ニセ・ヒーラーの存在”という一言で言い尽くされます。スピリット・ヒーリングがきわめて特殊で強力なスピリチュアル・ヒーリングであることが世間に知られるようになると、多くの人々がスピリット・ヒーリングを受けたいと願い、ヒーラーのもとに押しかけるようになります。

するとそれまでスピリチュアル・ヒーラーを自称していた治療師が、「自分もスピリット・ヒーリングをしている。自分の治療を受けると大半の病気が治る。自分のヒーリングは治癒率が高い」といったウソの宣伝をして、人集めに走るようになります。「スピリット・ヒーリング」を売り物にすることで、他の一般のスピリチュアル・ヒーリングとの差別化をはかり、大勢の患者を引き寄せようと考えるのです。そうしたニセ・ヒーラーの心の中には、金儲けや人気取りといった私利私欲しかありません。

金銭・名声・権力などの地上的な利益を求める“ニセモノ”に、霊界の人々が力を貸すようなことはありません。当然、スピリット・ヒーリングは成立しません。スピリット・ヒーリングは「霊界の医師たち(霊医)」が積極的にヒーラーに協力し、援助することによって成り立つものですが、そのためには地上のヒーラーに、霊医たちを惹きつけるだけの魅力がなければならないのです。

その魅力とは、高級霊と同じようにスピリチュアリズムのために人生を捧げ、地球人類の霊的救いのために「霊界の道具」となって歩もうとする精神・決意のことです。無私無欲の道具として、ただ人々の霊的成長と真の幸福のために自らを犠牲にしようとする精神のことなのです。こうした崇高な奉仕精神がなければ、霊界の人々が大挙して地上のヒーラーを援助するようなことはありません。反対にこうした崇高な精神を持ったヒーラーがいるなら、わざわざ惹きつけようとしなくても、霊たちの方から援助の手を差し伸べてくれるようになります。

自分の利益のためにヒーリングをするような人間に対して、霊医たちが関係を持つことはありません。スピリチュアル・ヒーリングとは本来、無償の奉仕・純粋な利他愛の実践なのです。そこには、ヒーリングに対して見返りを期待する心があってはなりません。金銭や名声といったこの世の富を求めるあり方は、真の利他愛とは言えません。カネ目当て・人気目当ての人間は、本物のスピリット・ヒーラーにはなれないのです。スピリット・ヒーリングを金儲けの手段とすることは間違いです。金銭を要求するヒーラー、それも多額の報酬を当然のように要求するヒーラーは、すべて“ニセモノ”です。

ニセ・ヒーラーはヒーリングを金儲けの手段としか考えず、人々に霊的知識がないのをいいことに、ウソをついて騙します。霊的なものを利用したウソは“大きな罪”をつくり出すことになるのですが、ニセ・ヒーラーは霊的世界の恐ろしさを知らないために、平気で人々を騙すのです。しかしその罪は、死後、償いのための苦しみ・後悔という形で必ず自分に返ってくるようになります。霊界では罪の重さが実感をともなって迫ってくるため、気が狂うほどの苦しみを体験することになるのです。

スピリチュアリズムでは、スピリチュアル・ヒーリングを「純粋な奉仕活動・無私無欲の利他愛の実践」としています。“スピリット・ヒーラー”は、ヒーリングを通じて利他愛実践の手本を世の中の人々に示すという崇高な使命を担っているのです。