ヒーラーの声

霊的真理を知ることが“いちばんの終活”

No.043

ここ数年、テレビなどで終活や終末期医療について、さかんに取り上げられるようになりました。先日も、自宅で「看取りの時」を迎えようとする家族の様子が放映されました。

私は数年前に母を見送りました。母は脳梗塞がもとで半身不随になり、人の手を借りなければならない状態で晩年を過ごしましたが、病気になる前は友人との交流や地域のボランティアなどに参加して一人の生活を楽しんでいました。しかし、不自由な体では一人暮らしができず、一緒に暮らすようになりました。リハビリにも積極的に取り組んでいましたが、元の状態に戻ることはありませでした。在宅介護ができなくなり、施設で生活するようになってからも、母は周囲に心配をかけまいと、いつも明るく振るまっていました。

母は、不自由な体で10年という長い時間を過ごした後に亡くなりました。突然“死”が訪れたため、私は母の最期を看取ることができませんでした。病院にかけつけた時には、母は穏やかに眠っているように見えました。それは、いつも娘に余計な心配をかけないようにと気配りをしていた母の姿そのものでした。

そうした母との死別を、私は悲しみではなく、体の不自由さと懸命に闘った母へのねぎらいにも似た思いで受けとめました。そして、やっと重い肉体から解放されて自由になり、霊界という本来の世界に還ったことに安堵しました。

私は「霊的真理」を学んでいたお蔭で、死は悲劇や不幸ではなく、喜び以外の何ものでもないと確信していましたから、母の死を克服することができました。けれど大半の人々は死後の世界を知らないために、愛する人との死別を悲しみや不幸の絶頂ととらえます。しかし死後の真実を知れば、死を恐れることはなくなります。死別を悲しむこともなくなり、死んでゆく人を静かに見送ることができるようになります。これこそが本当の終活だと思います。

死は、地上人生を精いっぱい生きた後の“神さまからのご褒美”だということを、私は母の死を前にして実感しました。そして“最高の終活”――死に臨む心がまえができたことを喜びました。

今は、終活や看取りケアなどが広がりを見せていますが、霊的真理を学び、死後の世界の真実を知ることほど素晴らしい終活の方法はないと確信しています。

(清水)