(2)スピリチュアル・ヒーラーとしての喜びと悲しみ

ヒーリング奉仕に携わることの喜びと感謝

私たちヒーラーには毎日、ヒーリングという「利他愛実践」のチャンスが与えられています。それは本当に感謝以外の何ものでもありません。もとより私たちには、スピリチュアル・ヒーリングによってお金儲けをしたり、有名になろうというような考えは一切ありません。人々への奉仕を通して“スピリチュアリズム”が広がることだけを願っています。「人類の霊的成長のために少しでも貢献したい!」という思いしかありません。その目的のために、霊界の人々の道具として働くことができるだけで満足なのです。

ヒーリングの現場では、多くの困難や辛い出来事を体験することになります。あまりにも身勝手な人間を相手にしなければならないようなことも、よくあります。そうしたときには、一時的であっても心が落ち込んでしまいそうになります。

しかしその一方で、私たちは常に霊的な喜びを体験しています。ヒーラーになって何より嬉しいことは、自分たちの内面が大きく変化してきたことです。人々に対して、同じ神の子供であるという愛しさが湧き上がってくるようになりました。自分のために生きたいという思いがなくなり、人々のために生きたいと思えるようになりました。「一人でも多くの人が癒されてほしい」「地球人類のすべてが霊的真理を知って幸福になってほしい」と、心の底から思えるようになってきました。地球人類のため、人々の幸せのために自分の人生を捧げられる恩恵に、ただただ感謝の思いがこみ上げてきます。感謝という一言では言い尽くせない大きな喜びを、たえず体験しています。

ヒーリングを受けられた方々から、よくお便りをいただきます。「スピリチュアル・ヒーリングを受けて驚くほど元気になった」「奇跡的に病気が治った」―こうした感想を聞くと、私たちは本当に嬉しくなります。

しかしそれ以上に嬉しいのは、スピリチュアル・ヒーリングによって人生が変わったというお便りをいただいたときです。「ヒーリングがきっかけとなって“シルバーバーチの霊訓”を読み始め、生きる希望が湧いてきた」「シルバーバーチの言葉を指針にして心を高める努力をしていきたい」「霊的真理を実践して霊的成長の道を歩みたい」――こうした霊的な生き方に目覚めた皆さん方の声を聞かせていただいたときほど、嬉しいことはありません。病気で苦しんでこられた方々の霊的救いのため、スピリチュアリズムのためにお役に立てたことを思い、深い喜びが湧き上がってきます。

霊界の人々が身近な存在になる

ヒーラーになってからは、時間の経過とともに、ますます霊界の人々との距離が近づいていることを実感するようになりました。常に霊界の人々によって導かれていることを確信するようになりました。奉仕をすればするほど、いっそう多くの霊的エネルギーが与えられるという「神の摂理」の正しさを実感することができるようになりました。辛い出来事があっても、ヒーリングに携わるとたちまち癒され、励まされ、霊力と気力が満ちてくるようになります。

スピリチュアル・ヒーリングの奉仕をしている最中、私たちはたびたび、霊界と地上界の壁が取り除かれ一体となったような神秘的な体験をします。時間が消滅した無限の静寂の中に吸い込まれるような体験をします。地上にいながらにして、霊界にいるような感覚に浸ることができるのです。そうした神秘体験を経るうちに、周りの人々やさまざまな出来事を霊的視野から眺め、考えられるようになってきました。いつの間にか霊的感性が磨かれ、善悪を見抜く霊的直感が高められました。時には、霊医(霊界の医者)の姿が見えたり、高級霊から発せられる眩(まばゆ)いばかりの霊光(オーラ)の中に包まれることもあります。

スピリチュアル・ヒーラーとしての心からの願い

私たちは、すべての人々が一刻も早く霊界の存在を知り、背後霊・守護霊が霊界から導いてくれている事実を知ってほしいと思っています。誰もが守護霊から愛されていること、決して独りぼっちではないということを知っていただきたいと願っています。

また私たちは、スピリチュアリズムによってもたらされた「霊的真理」が地球上に普及し、それが地球人類の常識になる日を待ち望んでいます。真理が行きわたることによって、どれほど多くの悲劇が地球上から消え失せ、人々の苦しみが癒されることになるでしょうか。どれほど大勢の人々が、病気の苦しみから解放されることになるでしょうか。「霊」が癒されれば、肉体も癒されます。「霊」が癒されなければ、肉体の病気が完治することはありません。

それを考えると私たちは、ヒーリングを依頼してくる方々が、少しでも早く「霊的真理」を受け入れられるようになることを祈らざるをえません。真理を知って本当の魂の安らぎを得て、永遠の幸せに至る道を歩み出していただきたいと願います。

ヒーラーとしての悲しみ

すべての人々の病気が癒されない現実

スピリチュアル・ヒーラーとしての歩みは感謝と霊的喜びに満ち溢れたものですが、その一方で常に悲しみも味わわなければなりません。私たちのところには毎日、多くの方々からヒーリングの依頼が寄せられます。長年の病気によって苦しみ、いくつもの病院を回り、ありとあらゆる民間療法を試し、絶望の中で最後の頼みの綱としてスピリチュアル・ヒーリングを依頼してくる方が実に多いのです。こうした人々の中には、病気の治療のためにお金を使い果たし、破産しかけているような方もいます。また、本人や身内の方が精神病をわずらい、助けを求めてすがってくるようなこともしばしばです。

このような辛く苦しい状況が、実は患者さんやご家族にとって「カルマ清算の道(償いの道)」になっていることを、私たちは霊的真理を通して知っています。カルマが清算されていなければ(治る時期がきていなければ)、ヒーリングを受けても病気は治癒しません。苦しみから抜け出すことができない人々を前にして、私たちの心は痛みます。「今すぐにでも病気を治してあげたい。苦しみから解放してあげたい」と、じっとしていられなくなります。

時には霊界の道具としてのヒーラーの立場を忘れ、同情心に巻き込まれ、感情に流されそうになってしまうこともあります。摂理の働きを知りながらつい、「どうか、この哀れな人を救ってあげてください。そのためなら、自分はどんな犠牲を払ってもかまいません」と、神に祈りたい気持ちに駆られることもあります。患者さんの苦しみが私たちに伝わってきて、心境が乱されるようなこともあります。霊的に敏感になった分だけ、以前には考えられなかったような霊的な軋轢(あつれき)や内面的な葛藤・苦しみを体験しています。

ヒーリングをしても思わしい結果が得られないようなときには、「自分の力が足りないために治癒が生じなかったのかもしれない」と考えたこともありました。また「自分の心境が低くて霊界の医者の良き道具になれず、霊的エネルギーを十分に与えることができなかったのかもしれない」と自分を責めたこともありました。「果して霊医は自分を道具として用いてくれているのだろうか」と不安に思ったこともありました。

ヒーラーとしての課題

人の醜さ・未熟さに影響されない

スピリチュアル・ヒーリングの奉仕に携わるということは、相手の人間の醜さや未熟さ・利己性に直面するということを意味しています。人間は皆、弱さを持つ未熟な存在です。そうした人間が病気になって苦しい状況に置かれると、その利己性がいっそう増幅されるようになります。多くの患者さんが、「他人はどうでもいいから自分の病気を治してくれ」「病気の苦痛を取り除いてくれさえすれば、それでいい」といった、身勝手な要求を一方的にしてきます。なかには『シルバーバーチの霊訓』を逆手にとって、「どうしてすぐにヒーリングをしてくれないのか」「何度でもやって当たり前ではないか」と、非難してくるような人もいます。

それも、ある意味では仕方がないことかもしれません。病気になると人間は、あまりにも身勝手になってしまいます。自分のことしか考えられないようになってしまいます。そのような相手を前にしたとき、私たちはとても悲しい気持ちになりますが、同時に自分自身を霊的視野から眺め、冷静さを保つように心がけます。「霊的真理を受け入れて苦しみを甘受するなら、病気はもっと早く治るのに……」と思いますが、それを相手に要求することはできません。真理を受け入れさえすれば、どれほど心が楽になることかと思いますが、どうにもなりません。それが「神の摂理」だからです。

時期がきていなければ、「霊的真理」を受け入れることはできません。病気が治る時期がきていなければ、ヒーリングは功を奏しません。残念ながらヒーリングを依頼してくる患者さんの多くが、いまだ時期がきていない方なのですもちろん何年か後には、病気が治る時期がくる可能性もありますが……

もし私たちが、そうした人々と同じ立場に置かれていたなら、同じような態度をとったかもしれません。幸いにして私たちは一足先に「霊的真理」と出会い、それを受け入れることができましたが、真理を手にしていなければきっと、ヒーラーに対して利己的な要求をしていたことでしょう。このように考えると、身勝手な人を前にしても同情心を持って臨むことができるようになります。完全とは言えないまでも、人間の持つ醜さや未熟さ・利己性に巻き込まれることなく、感情的にならずに相手を包むことができるようになります。

ヒーラーとしての霊的成長

初めはあまりにも未熟であった私たちも、ヒーラーとして辛い体験を重ねる中で一歩一歩、霊的成長の道を歩んでくることができました。思うようにならない現実を「霊的真理」という眼鏡を通して見ることができるようになってきました。霊界の人々に委ねる世界を、少しずつ身につけることができるようになってきました。相手の苦境に同情しながらも、同時に「霊的摂理」の観点から眺め、冷静に対処することができるようになってきました。もちろん今も未熟であることは同じですが、シルバーバーチの――「あなたに要求されるのは精いっぱいやることだけです。あとは私たちに任せなさい」という言葉を心の支えにして必死に歩んでいます。

一人一人のヒーラーが、さまざまな苦しみや悲しみを体験し、自分自身の内容の乏しさに悩みつつも、何とかそれを乗り越えようと力を振りしぼってきました。壁に突き当たったときには常に、「霊界の道具である」というヒーラーの原点に立ち戻り、心を正して再出発してきました。その背後には、いつも霊界からの導きと励ましがありました。それと同時に、ヒーラー同士の励まし合いがありました。そうした支えがあればこそ、困難を克服することができたのです。こうして少しずつ、ヒーラーとして成長の道をたどってくることができました。

これからスピリチュアル・ヒーラーとして歩もうとされる方も、おそらく私たちと同じように、さまざまな困難に遭遇することになるでしょう。そうしたとき私たちは、純粋な奉仕としてヒーラーの道を志している方に対して、自分たちの体験を語り、励まして差し上げることができるものと思います。そうした折には、どうぞ遠慮なくご連絡ください。

ひたすら動機を正して歩む

私たちは、いまだに多くの醜さや未熟さ・利己性を持っています。とても胸を張って優れた高級霊の道具であるとは言えません。自分たちの足りなさは、誰よりも自分たちが一番よく知っています。だからこそ、周りの人々の身勝手さ・醜さ・未熟さに同情できるのだと思います。

私たちに要求されているのは、動機を正し、ただ「霊界の道具」としてヒーリングに専念することだけです。心の中から不純な思い・利己的な思いを捨て去るように努力し、ひたすら人類のため・目の前で苦しんでいる人のために最善を尽くすことだけなのです。